2 まず自分から取り掛かったこと

現在「ヨハネの黙示録を学ぶ会」に参加していまして、11章まで講義を受けました。しかし受動的に聞いておくだけでは上滑りしているように思い、まず自分から調査に取り掛かることにしました。

 

以前は、リベラルな神学の影響を受けて「黙示文学=事後預言」と理解していました。そうするとどうなるかと言いますと、預言全般について「無関心」「どうでもいい」という心情になります。聖書は、預言の成就やその結果である歴史とはあまり関係のないレベルの事柄なのだ、という理解。自分が染まったのは「高等批評」や「実存主義」です。

 

高等批評でダニエル書などへの預言的関心は吹き消されます。また、実存論的解釈によって、聖書から意味を引き出せるのは「今を生きる等身大の自分の現実的存在」にとって意味のある事柄である、と考えていました。

 

黙示録などでは「終わりの日」の「キリスト来臨信仰」が中心にあります。今までの考え方では、クリスマスの出来事、言い換えればアドヴェント(来臨)の出来事として置き換えていました。それは教会暦では毎年訪れる出来事です。そのアドヴェントに備えて悔い改めのうちに待降節を過ごすのですが、いえ、今もそういう面があるという理解は変わりません。ただ、それだけか、というとそうではないことは、うっすらと感じていました。

 

キリストの来臨信仰をよくよく直視して「再考」して見ると、それにとどまらないことが分かってきました。キリストの来臨信仰を、単純に実存レベルの事柄、例えば「memento mori 死を想え」的なある種の実存主義レベルにとどめておくのは、今、ここに生きている私が直面している死に強く捕らわれていて、死から生を基礎づけるように感じられました。死を忘れるよりは遥かに良いとは思いますが、基本的に「死の哲学」であり、「根源的な不安」に立ち向かえるのか疑問に思いました。

 

個人ではどうすることもできないような巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささの意識から反動的に生じたと思われる「実存主義」です。確かに個人を等身大に見ていこうという在り方は否定することはないでしょう。しかし、いわゆる「個人主義」という「個人をより大きく重視していこう」という風潮や、「実存は本質に先立つ」など、本質(ここでは神や魂)や歴史を積極的に認めない傾向があります。そのため、唯物的・即物的になり、本質が見失われやすいという指摘もあります。

 

このところ、終末論と再臨信仰を「再考」する中で気づかされたのは、その信仰が実存主義的な解釈などを乗り越えるのではないかということです。キリスト教信仰の中心にあるのは、「ことば」即ち「物語」と言ってもいいですし、「具体的な出来事」と言ってもよい、そのような事柄としての「ことば」なのだ、と改めて認識しました。そこには、長大な歴史認識と、死をも超える生へと続く「一連の」物語の中にある私(たち)が、日常世界から歴史に至るまで確かに導かれているという、確認と確信が伴うのです。

 

例えば『創世記』において「光あれ、すると、光があった」というように、神の「ことば」ヘブライ語で「ダーバール דבר」は、言葉であり、同時に「行為」でもあり「出来事」でもあります。現代語で言う単なる記号としての言葉や文字ではなく、「出来事を引き起こすことば」ですね。

 

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。

天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。

イザヤ書55章8-11節

 

バビロン捕囚からの解放を告げた神のことばは、必ず実現するので、希望を捨てないようにと捕囚の民に語られているのです。この神のことばへの信頼—素朴ですが力強い―を、私はキリストの再臨信仰を通して新たにすることができました。

 

そこで。。。ここまでが、前置きです(^^;)

結論はさっと流します。

まず、私が自分で取り掛かったのが、ダニエル書をざっくりと理解する、という点です。最初から細かいところに入ってはいけないと思いました。そこで次の動画を参考にいたしました。Bible Project というNPOが作ったものですが、大変好評のようです。ただざっくりと掴むだけです。(分かり易過ぎても、逆にどんな前提があるのか検討する必要がありますので個人的には注意しています。でも十分参考にはなります。)

 

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