2022/12/14(水)オンラインの集い(1987/4/27)

 

2022年12月14日(水)1987/4/27のメッセージ

 

「私のみ心のVSLよ」

み心――神の愛の器官

キリストのみ心【に】入り込んでいるVSLよ!
キリストのみ心【が】入り込んでいるVSLよ!

み心は鼓動する――愛のあまり、私たちを愛するあまり

「私の心に、奥深く入って来なさい」

み心=愛の炎=火=光......この表現はみな聖人に共通している

愛の火が点火されて人間は輝きだす


【聖なる道連れ】
companion 仲間 1987/5/5 p.132下段1行目
人間は、人間の弱さ、みじめさ、弱点を評価しないが、イエスは違う。そこを評価する


「あなたの弱さとみじめさを差し出しなさい
私の力と、私の憐れみの中で、それらを消滅させることができるように」

「はい、これが私の弱さとみじめさです」と差し出すものは幸い。
み心の中で、主の中に入ることによって愛の炎の中で溶かされる

たとえ、水に濡れていた木のようであっても、始めは燻ぶるだけかもしれないが、愛の炎によって徐々に確実に燃えていく

 

 

愛の炎と聖なる道連れで思い出すのが、
幼少期よりなにげに好きな句であった雅歌8:6,7

【愛は死のように強く】
熱情は【陰府(シェオル)のように】酷い
火花を散らして【燃える炎】
大水も愛を消すことはできない
洪水もそれを押し流すことはできない

 

ここからは完全主観世界なので付いて来れなくてもいいです(笑)
JW賛美歌だけど三つ子の魂百までとはよく言ったもので、内容は前キリスト教的前理解とでも言うような感じですが曲の美しさと3番の歌詞がJWを脱構築しても響いてきます...

曲調いいけど歌っている人が下手(^^;)
https://www.youtube.com/watch?v=_J-SlAlbdCY

 


【至聖所】→1987/3/26 p.103上段
【聖なる書物】
これは神秘の世界
「来なさい、私の栄光を見せよう」


VSLを読むときの心掛け
・心にストンと落ちてくるかどうか、頭で考えるよりも
・キーワードを見つける
・何度も読む。ヨハネ福音書と行ったり来たりするような関係
・ただ読むのではなく黙想する(思い巡らす)
・危機感なしには、VSLは読めない
 世の状況…苦しい、悲しい…イエスもマリアも感じている
 そう感じている人を引き上げたい

(引き上げられの結果なのか)かつての面白いことが面白くなくなった。
そう、この世に興味がなくなる
(欧米文化より日本文化の方が現世的で、この世の興味搔き立てが盛んで、それで満足できる精神構造になっているように思う)

この世に興味がなくなるのは
いわば「乾燥状態」になることで、本当の愛を味わうための訓練である。

 

女性の預言者が多い オリーブの木

二人の預言者―—今のイエスとマリアのみ心
          (後) (先)
         VSL時代  ゴッビ神父時代

再臨に至る時も、マリアさまが先にご出現

プロテスタントにはマリアさまがいないので混乱している

プロテスタントは2000年前に固執する

解釈も「私がーー」の思いに基づいている。

「私の理論がより正しい」という思いに基づいている

マリアさまは異端を暴きあらゆる真理を示す存在、最後に蛇の頭を砕く

前者は「I first」、後者は「God first」

内気な人たちが教会で排除されている、という嘆きがあってもいいはず…

キリスト教は最も罪びとを救う
道徳的・人間的にいい人はいい人だが
神の前でそれ以上進歩しない

大学教授、インテリみたいなのばっかりの「カトリック生活」
インテリを集めたいと思っている
社会的名誉とか神の国に役に立たない

茶室は象徴的…腰をかがめて刀を置いて謙虚にならないと入れない

エスに倣う…キリスト教は道徳の宗教ではない

(『バチカンの狂気』この著者も変)
(日本の司教団はバチカンに従うように装っているが)

カトリックは人を差別しないで、あらゆる人を抱き込むことをしなかった。
内村鑑三に帰らないといけない。
大正時代の教養主義
民主主義を支えた知的エリートたち
ほとんどの文学者がキリスト教に触れた

大正期のキリスト教は良い
哲学者・思想家・文学者・芸術家
みんなキリスト教の空気を吸っていた

戦後はみんな離れて行った

活動の成果を上げた人が評価されて司教になっていく
浜尾枢機卿の前までは人格者だった
浜尾・白柳・前田万葉とかはおかしい
東京の大司教はあんまりダメ
自分の身分を大事にして何とかやっていくタイプ
この世的には話がうまい

広島教区の司教はぴか一!白浜司教!素晴らしい
日本も変わった!

自分の心を守らないといけない。神の武具を!

「イエスのように施しを!」――反キリスト
「弱い人を支え、貧しい人に施し」――間違っている『笑顔のファシズム
善人を装ってくる――みんなを救おうとする

反キリストの手口の一つ→マイナカード、2万円のポイント
→いろんな情報を一つにして→背番号制(大反対)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心日記 黙想 『天の星を仰ぎ見よ』

 

2022/11/17(木)心日記

 

■タイトル■

私の希望とは何か?

それは永遠のいのちである。

子供の時から憧れていた、宇宙、いや「天」に行くことである。

 

その頃から世俗的なことは関心がなかったように思う。

どちらかと言うと、宇宙とか、あの世とか、ムーとかに関心があった。

なので、今は世俗的な慰めである、家族とか仕事とかには恵まれなくても

自分的には大丈夫なんだな、と確認している。

世間的・社会的な目をもって自分を見ると大丈夫かな、とか心配になるけど。

 

 

下に貼り付けた記事で・・・


神に不平を言え、というが、今は不平はない。

神に不平を言うとか、イメージとしては神に対して感情を爆発させるみたいな感じだけど、

そういう「神に(目上の者に)感情爆発」するのはなんかブレーキがかかる。

そうしようとすると、妙に無感情に冷静になる自分がいる。
そうしようとする自分を客観的に外から見つめて、
そこか冷めた目で、意地悪く言うと「冷笑的に」見ている自分

 

これが乖離なのか

それとも親の「支配的・冷笑的目線」を内在化してしまったのか

 

しかも今度は自分が見下した相手の感情爆発SNS上でも、yoshimiでもいい、naomiでもいい)には

「支配的・冷笑的・見下し・蔑視」をもって接していないか

 

◆私の課題◆  

自分より目上の者(取りあえず「神」)に「感情爆発」させないといけないのかもしれない。
不平不満を言う時、そういう自分を乖離させて冷めた目で見ないようにしないといけない。
オマケに、不平不満をいうことは悪いことだ、という「出エジプトした後のイスラエル」の事例で、イメージ操作されているのかもしれない。

これは他人が、カトリックキリスト教そのものについて、不平を述べている姿勢を見て、非常に憤りを感じることと、関係しているかもしれない。

カトリックキリスト教に不満があるんです!」

と、自分が神に不平を言えばいいだけなのかもしれない。



www.cbcj.catholic.jp

 

「信仰とは、見返りを求めずにすべてを受け入れ、沈黙しているだけのものではありません。
希望とは、疑惑や当惑を免れるようにするものでも、もちろんありません。
非常に多くの場合、希望は闇に包まれていますが、そこには確かに希望があります。
希望によって人は前に進みます。
信仰とは神との葛藤でもあります。
「信心深い」ふりをせずに、神に自分の不満をぶつけるのです。」

 

「人はこのような(信心深いふりをやめて、神に不満をぶつける、そして神はそれを理解してくれる、という)勇気を持たなければなりません。
それが希望です。
希望とは、現実をありのままに見るのを恐れずに、その矛盾を受け入れることでもあるのです。」

 

「神がアブラハムに与えるしるしは、信じ続け、希望し続けるよう求める呼びかけです。「『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』……『あなたの子孫はこのようになる』」(創世記15・5)。
再び、約束が交わされます。それは、将来に向けて待ち望むことです。

神はアブラハムを幕屋から外に、まさに

「狭い視野から離れさせて」

外に連れ出し、星を見せます。
信じるためには、信仰の目で見なければなりません。
わたしたちにはただの星に見えても、

アブラハムには神の忠実のしるしに見えた」
にちがいありません。

これが信仰です。
これこそが、各自が従うべき希望の道です。

わたしたちも星を見上げることしかできなくなったら、それこそが神を信じるときです。それはとてもすばらしいことです。希望は決して人を落胆させません。」

 

    

そうだ、はじめに戻るけど、私の希望は天に行くこと、神を見ることだ。

 

◆ポイント①◆ならば、その希望が自分の罪ゆえに不可能に思えたとしても
周りの不信仰と無理解のゆえに落胆させられても
アブラハムのように
「希望を持ち続けることができるように助けてください」と願うことができる。

 

なんという野心か!なんという欲深さか!
そう、こういう欲(希望)に忠実でなければ!

 

 

    

そして神は私にも語られる
「天の星を仰ぎ見よ、あなたはそこに引き上げられる」
という声をかけているのだ。

 

◆ポイント②◆  

これから、夜の星を見るときには、きっと私も将来そこに行くんだ、という希望を見るようにしよう!

それが私の信仰なのだ!

 

ありがとう、神さま。

 

やっぱり神さまには不平は出てこないなあ(苦笑)

 

いや、
自分の罪ゆえに落胆したとき
周りの不信仰と無理解のゆえに落胆されられた時

「希望を邪魔するコイツラを何とかしてください、神さまなんでしょっ!」
って言えるかもしれない。

 

「神から子を授かることは「ほとんど不可能」に思えましたが、彼はその子を待ち望みます。アブラハムは信じます。

彼の信仰は、「不条理に思えるような希望」にも開かれていました。
それは
「この世の人間の理性、知恵、分別を超え、常識」
と見なされるものを「超えて」、不可能なことを信じる力です。
希望は新しい地平を切り開き、想像もしなかったことを夢みることを可能にします。
希望があるから、人々は「不確かな未来という暗闇」に入り、光の中を歩むことができるのです。
希望の徳はすばらしいものです。希望は人生を歩む力をふんだんに与えてくれるのです。」

 

私に与えられた信仰(A)は、
「この世の人間の理性、知恵、分別、常識」を超えて、
私に信じる力(B)を与えてくれている。

 

◆ポイント③◆  

天に行く希望が、これまでの人生を切り開き、新しい地平を開き
想像もしなかったことを夢見ることができるのだ

この天行きの希望があるから、
私の「不確かな未来という暗闇」の中でも、「天行きを光として」歩める

人生を歩む力を与えてくれる
というか、生きる力になっている

 

逆に、世俗主義の、天行きに「無関心な輩」との交わりによって
私の大切な「天行き希望」が傷つけられないよう
「心を守る」ために
「離れること」が必要なのだ

 

 

「しかしそれは険しい道です。
そして「失望(落胆)」という危機がアブラハムにも訪れました。
彼は神を信じ、家も土地も友人も皆、捨てました。
彼は出発し、神がお示しになった土地に到着しました。
ずいぶん時間がかかりました。
時間は経ちましたが、「約束された」子どもは授かりませんでした。
サラの胎は子を宿しませんでした。」

 

その時

「辛抱できなくなったとまでは言わないまでも、主に不平を言います。
主に不平を言うことも祈りの一つであることを、わたしたちは父アブラハムから学びます。」

 

そう、辛抱できなくなったその時まで、不平を取っておこう!
その時に思い起こせるように、それもまた祈りの一つだと。


良い黙想の時を与えてくれた神と、きっかけを与えてくれたマロンちゃんにも感謝!

ね、こうやって、「自分で決断して」フレネミーを切り捨て
良い友を選ばないといけないね!

 

ノート整理 読者の集い

 

2021年2月10日・水曜日

1987年3月4日

 

自分の当てにならなさをよく知っているので

弱さから「あなたを捨てて」しまうのではないか、怖い。

「あなたに見捨てられて」しまうのも、嫌です。

 

解説:見捨てられ不安

 

私ヤーウェはあなたを愛している。

果たしてあなたを見捨てたりするだろうか?

私たちには絆があり、互いに結ばれているので

あなたが私を見捨てることはできないであろう。

 

解説:絆(bond)

 

 

 

2021年3月10日・水曜日 TXXG ONLINE

 

日常的な些細なことから入って、霊的に引き上げようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4 ダニエル書の書かれた時期について

 

批評[編集]

聖書学の高等批評的研究によって、本書はマカベア書の時代に書かれたものであり、旧約聖書中もっとも新しい時代にかかれたものであるという学説もある。しかし、福音派の中には、その説を退ける教派もある[2][3]。 また、ヘレニズム期に書かれた文書を聖典と認めなかったユダヤ教聖典にダニエル書は収められているため、ヤムニア会議の頃のユダヤ人たちもダニエル書はマカベア書の時代より十分前に書かれたものであるとしていることがわかる。

ja.wikipedia.org

 

 

アレクサンドロス大王によるペルシャ遠征上において、親ペルシャエルサレムが大王の攻撃をまぬかれた理由は、大王が「ダニエル書」が見せられたためと、フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌③』にあります。

 

 

 

 

 

前6世紀前半に書かれたエゼキエル書に、ノアとモーセに並んでダニエルが登場する。

 

 

ダニエルのバビロン連行の年代は?

まず基本的な前提として、ユダの歴史に記述はあっても、他国の歴史に記述のない出来事がある、ということ。また、同じユダの歴史でも、ある書に記述はあっても、他の書には記述がない出来事もある、ということ。

 

例えば、前605年の出来事

ヨヤキムの第三年目。チェーンバイブルの注にこうある。「エホヤキムの治世の第三年—前605年。エレ25・1では第四年となっている。その相違は、ダニエル書が、即位の翌年の1月を治世一年と数えるバビロニア方式を採用したからである。」

・(第1次)バビロン捕囚—ダニエル1・1「ユダの王、ヨヤキムが即位して三年目のことであった。」

・しかし『聖書時代史 旧約篇』(山我哲雄)p-p.165-166に次のようにある。「ただしネコは、パレスチナ・シリアの支配を長く維持することはできなかった。前605年、エジプト軍は新バビロニアのネブカドネツァルにユーフラテス河畔のカルケミシュとオロンテス河畔のハマトで徹底的に打ち破られ(エレ46・2-6)、ネコはパレスチナ・シリアの放棄を余儀なくされた(王下24・7)。こうしてパレスチナは、新バビロニア支配下に入ることになる。前605年に父王の死後バビロニア王となったネブカドネツァル二世(在位前605-562年)がフィリスティアのアシュケロンを征服した時(エレ47・5-7参照)、ユダに対してまったく介入していないところを見ると、ヨヤキムはいち早くこのバビロンの新王に乗り換えたのであろう(王下24・1)」

・以下のサイトでは、

sumire.saloon.jp

■バビロン捕囚の期間については諸説ある。

 

 

始まり 終わり 期間
605年 (第1次捕囚 ) 536年 (故国への帰還) 70年
597年 (第1次捕囚または第2次捕囚 ) 538年 (故国への帰還) 59年
586年 (第2次捕囚、神殿の破壊) 538年 (故国への帰還) 48年
586年 (第2次捕囚、神殿の破壊) 516年 (神殿の再建) 70年
586年 (神殿の破壊) 515年 (神殿の再建) 71年

エルサレムの破壊は:

前586年または前587年

ユダヤ人が解放されたのは、キュロスがバビロンを征服した翌年

前538年 (現代と年の始まる時季が異なるので、1年の誤差はありえます)

バビロン捕囚(百科事典の言及)

 バビロン捕囚 バビロンほしゅう Babylonian Captivity

古代イスラエルの民がバビロニア帝国の王ネブカドネザル2世によってとらえられ、パレスティナユダ王国からバビロニア帝国の首都バビロンにつれさられた事件。前597年最初の強制移住から、前538年ペルシャ王キュロスによる捕囚民の解放までをバビロン捕囚時代とよぶ。

 前597年の第1次捕囚では、イスラエルの上層部、兵士、職人がつれさられた。前586年の第2次捕囚では、ネブカドネザルの兵士がユダ王国の首都エルサレムを破壊し、のこっていたイスラエル人の大半をバビロンにつれていった。だが、重要人物はエジプトへにげ、最下層の農民はパレスティナに残ることをゆるされた。

前582年の第3次捕囚においても、多くのイスラエル人がつれさられ、ニップルやバビロンの近郊をながれるケバル川流域の村に植民した。こうしてイスラエルは、バビロニア帝国の支配下におかれたが、前562年にネブカドネザル2世が死亡し、前539年にペルシャの王キュロスがバビロンを征服すると、帝国は崩壊した。捕囚民は解放され、故国へもどされた。

約半世紀におよぶくるしい捕囚の期間は、イスラエル人を精神的な団結と強い信仰をまもる民族にそだてた。バビロン捕囚時代は、ユダヤ民族が生まれた時期といわれる。「ユダヤ人」という語は、このときからイスラエル人の総称となった。

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 ユダヤ

■ ネブカドネザルによるエルサレム征服■
 世紀がかわり、ユダ王国がかろうじて独立をたもっている間に、中東地域の力のバランスはアッシリアからエジプトにかたむき、最終的には、カルデア人のもとで勢力をもりかえしてきたバビロニア王国にうつった。しかしユダ王国は、かつてアッシリア人服従したようにはカルデア人に屈伏しなかった。

そこで、カルデアの支配者ネブカドネザル2世は前597年、ユダの反抗に対してエルサレムを征服した。ユダの貴族、戦士、手工業者たちはバビロンにつれさられ(→ バビロン捕囚)、ネブカドネザルダビデ王家の王子ゼデキヤを傀儡(かいらい)としてユダの王位につけた。しかしそのゼデキヤも、前588年にカルデア人に対する反乱を主導した。

その2年後の前586年ネブカドネザルの軍隊はユダを征服し、エルサレムを破壊しつくした。潜在的な反乱の指導者とみなされたすべてのユダ人は、バビロンにおくられた。ほかの集団はエジプトにのがれたが、その際に彼らは、抗議する預言者エレミヤ(→ エレミヤ書)を彼の意志にさからって無理やりエジプトにつれていった。パレスティナにのこされたのは、もっともまずしい小作人だけだった。

バビロン捕囚は、古代イスラエルの政治的独立の終わりを意味した。ユダヤ人は、400年以上もあとになっておこる短期間のユダヤ人国家再興(ハスモン王朝)を唯一の例外として、長い間この政治的独立の喪失という運命をたどることになる。
<中略>

エルサレムへの帰還■
 前539年に、ペルシャ帝国の創建者キュロス大王がバビロンを征服した。翌年キュロスは、ユダヤ人の解放を許可する勅令を布告した。捕囚民のうち約4万2000人が、パレスティナにむけて出発した。彼らは自分たちの財産すべてと、バビロンに残留する人々が託した贈り物、そして伝承によればキュロス自身の贈り物をもたずさえて、帰還した。故郷は、カルデア人に破壊されたままの廃墟だった。帰還者たちは、これからとりくまねばならない膨大な仕事を思って、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

帰還民たちにひろまった意気消沈は、しかし、2人の宗教的指導者、預言者ハガイ(→ハガイ書)とゼカリヤ(→ ゼカリヤ書)によってふたたび活気をとりもどした。彼らは、かつてエゼキエルがしたように、宗教的生活による救いを約束したのである。ユダヤ人は、ダビデ王家の血をひくゼルバベルの指導のもとに、神殿再建にとりくんだ。こうして前516年に、第2神殿が完成した。ユダヤ教の伝統では、この年がバビロン捕囚の真の終わりとみなされている。すなわちバビロン捕囚は、前586~前516年の70年間つづいたのである。

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 バビロン捕囚 バビロンほしゅう Babylonian Exile(Captivity)

バビロニア人が,ユダとエルサレムの住民の大多数を捕らえバビロニアに移した事件のこと。〈バビロニア捕囚〉ともいい,第1次捕囚(前597)または第2次捕囚(前586)から,キュロスの神殿再建許可の勅令(前538)または神殿完成(前515)までをイスラエル史における〈バビロン捕囚時代〉という。

アッシリアによる北イスラエル10部族の捕囚(《列王紀》下15)と北イスラエル王国の滅亡(前722)に続く世紀,アッシリアの衰退後,南ユダ王国の国力回復の試みは,ヨシヤ王がメギドで死んで挫折し,代わって即位したその子エホアハズもエジプトに連行されて死に,エジプトは前605年ネブカドネザルによりカルケミシュで敗れた。

ヨシヤの子エホヤキムの治世11年バビロニアエルサレムを攻囲(《列王紀》下23),その子エホヤキンは即位3ヵ月でバビロニアに降服(同,24),王と母,従者のほか神殿と宮殿の宝物とともに1万人が捕囚された。残った者は貧しい者のみであった(第1次捕囚)。

さらにゼデキヤ王の11年エルサレムは陥落(《列王紀》下25),王と住民の多くは捕らえられて移され(第2次捕囚),残った貧民はブドウ栽培者,農夫となった。なお〈教皇のバビロン捕囚〉と呼ばれる事件は〈アビニョン捕囚〉の項を参照。
〈 西村 俊昭 〉

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 バビロン捕囚Babylonian Exile

古代イスラエル民族のユダ王国新バビロニア王国によって征服された際、多くの住民がバビロンへ強制移住させられた事件。紀元前597年新バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダ王エホヤキンは降伏し、数千人の貴族、聖職者および中産階級の国民とともにバビロンに連行された。その後、ユダは半独立国の地位にとどまり、王位はゼデキアに継承されたが、彼が反バビロニア派に動かされ、反乱に加担したため、ネブカドネザル2世はふたたびエルサレムを略奪し、建物を焼き、砦(とりで)を撤去し、住民の大部分を捕囚の身とした(前586)。

逃亡を図ったゼデキアはエリコで捕らえられ、目の前で家族全員が虐殺され、自らは盲人とされ、足械(あしかせ)をかけられてバビロンへ連行されたという(『旧約聖書』列王紀)。その後、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キロス2世が前538年に発した「民族解放令」によって帰還を許された。

バビロン捕囚はイスラエル人にとって大きな民族的苦難であったが、この間の精神的労苦はかえって民族の一致を強め、信仰を純化する端緒となった。また、それ以前に書かれてきた『旧約聖書』の律法書、歴史書、預言書、詩などが集成された時期としても重要な意義をもっている。バビロンから帰還後、国家建設はならなかったが、エルサレムに再建した神殿を中心としたユダヤ教団が成立し、彼らはユダヤ人とよばれるようになった。
〈漆原隆一〉

(C)小学館 スーパー・ニッポニカ2001

百科事典による、聖書への言及:その他

 ネブカドネザル[2世] Nebuchadnezzar II

新バビロニアの王。在位,前604‐前562年。正しくはナブー・クドゥリ・ウスル Nabu‐kudurri‐uour。父王ナボポラッサルの晩年には皇太子としてバビロン軍を率い,たびたび遠征に出た。父王の後を継いで王となった後も,メディアとの同盟関係のおかげで東方の守りを心配することなく,ほぼ毎年シリア,パレスティナ方面に遠征を重ねた。その主たる目的はバビロン軍の力の示威と朝貢国からの貢物の取立てであった。

43年に及ぶその治世の中で比較的知られているのは最初の10年ほどで,前604年のアシュケロンの破壊,前601年の対エジプト戦での敗北,前598年のエルサレム攻囲(このときユダ王エホヤキンほかを捕囚として連れ去り,代りにゼデキヤを王に据えた。《列王紀》下24:10~17)などが特に注目される。

その後テュロスの攻囲,小アジアにおけるメディアとリュディアの国境争いの調停などあるが,とりわけ前586年のエルサレム破壊といわゆるバビロン捕囚を挙げなければならない(《列王紀》下25:1~22)。このような数次の遠征により得た財宝で諸神殿の再建,首都バビロンの建設,王宮の造営などを行った。こうして彼の治世は長いバビロンの歴史の中でも最も栄えた時期となり,その支配領域もメソポタミアを中心に東はアラプハ,西はガザ,南東はスーサ,南はペルシア湾上の島々にまで及んだ。
中田一郎

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 ネブカドネザル(2世) Nabu-kudurri-usur Ⅱ

(?―前562)新バビロニア王国の王(在位前605~前562)。彼は紀元前605年、皇太子として軍を率い、カルケミシュの戦いでエジプトを大破した。その直後、新バビロニア創始者である父王ナボポラサルの意志を継いで即位したのだが、その後の彼の軍事行動について彼自身はなんの記録も残していない。

ただし、『旧約聖書』とギリシア人による記録から、前598年にユダ王国を服属せしめ、さらに前587年にはなおも反抗するユダを攻撃し、エルサレムを陥落させて多くの民を捕囚に拉致(らち)したこと(バビロン捕囚)、またそれと並んで、フェニキア人の町ティルス(ツロ)を長期にわたる包囲のすえに征服したことが知られている。

しかし彼は全体として軍事による領土拡張政策はとらず、国の防衛を確保したうえで(たとえばティグリス川からユーフラテス川に至る対メディア防壁)、むしろ文化振興政策を促進させた。たとえば首都バビロンに、91メートルにも及ぶ塔を中心とした壮大なマルドゥク(バビロンの主神)神殿を建立し、通りは釉薬(ゆうやく)をかけた焼成れんがが種々に飾られていた。また諸都市を整備し、灌漑(かんがい)設備を整えて農業生産性を高め、種々の交易を促進させ、バビロニアを当時のオリエント世界随一の豊かな国にした。

彼の個人的ひととなりについて多くは知られていない。しかし、自らの名声の宣揚よりも神々の力の賛美を心がけた彼が宗教心あふれる王であったことは疑いない。なお、『旧約聖書』「ダニエル書」に描かれるネブカドネザルの姿には、歴史的にみれば、バビロニア最後の王ナボニドゥスとの混同がある。
→バビロン〈月本昭男〉

(C)小学館 スーパー・ニッポニカ2001

 ナボポラッサル Nabopolassar - 

新バビロニアの王。在位,前625‐前605年。正確にはナブー・アプラ・ウスルNabu‐apla‐usur。カルデア人ヤキン族の出身。アッシリアの宗主権下で海国の首長の地位にあったが,同帝国最後の英王アッシュールバニパルとバビロンにおけるその傀儡(かいらい)であったカンダラーヌ Kandalanuの死後1年を経てバビロンの王位に就き,新バビロニア王朝(カルデア王朝)を建設した。

即位後の10年近くはアッシリアの執拗な反撃に耐えて,もっぱら政権の維持・確立に努めたが,治世10年ころからは攻勢に転じ,毎年のごとくティグリス川沿いあるいはユーフラテス川沿いにアッシリア遠征を行った。メディアがバビロンと時を同じくしてアッシリア侵攻を開始,前614年にはアッシュールの町を陥落させた。

この年ナボポラッサルはメディア王キュアクサレスと同盟を結び,皇太子ネブカドネザル(後のネブカドネザル2世)とキュアクサレスの娘アミティスとの結婚によりこれをいっそう強化した。前612年にメディア(ウンマンマンダ)と共同でアッシリアの首都ニネベを陥落させた。

アッシリア帝国の残党はハランに逃亡し,アッシュールウバリト2世を王に立てて政権を維持したため,この後のバビロン軍の遠征はユーフラテス川流域に集中した。この遠征は必然的にシリア・パレスティナをその勢力範囲とするエジプトとの衝突を引き起こすことになった。

なかでも治世最後の年にその皇太子ネブカドネザルが率いる軍とエジプト軍の間で戦われたカルケミシュの戦(前605)は有名で,ネコ2世の率いるエジプト軍は大敗を喫した。旧約聖書《列王紀》下24章7節はこの戦いに言及しているものと考えられる。こうしてナボポラッサルは次王ネブカドネザル2世治下の繁栄の基礎を築いた。

中田 一郎

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(引用終わり)

 

特に興味深いのが「ネブカドネザル2世」の項目の

父王の後を継いで王となった後も,メディアとの同盟関係のおかげで東方の守りを心配することなく,ほぼ毎年シリア,パレスティナ方面に遠征を重ねた。その主たる目的はバビロン軍の力の示威と朝貢国からの貢物の取立てであった。

43年に及ぶその治世の中で比較的知られているのは最初の10年ほどで,前604年のアシュケロンの破壊,前601年の対エジプト戦での敗北,前598年のエルサレム攻囲(このときユダ王エホヤキンほかを捕囚として連れ去り,代りにゼデキヤを王に据えた。《列王紀》下24:10~17)などが特に注目される

ネブカドネツァル2世は「ほぼ毎年、シリア、パレスチナ方面に遠征」したとあります。前605年の第1次バビロン捕囚は特に注目されていたわけでもなく、またアシュケロンの破壊の前の出来事と考えられる点です。

 

 

次に引用するのはこちら

meigata-bokushin.secret.jp

(引用開始)

序2. バビロン捕囚とエルサレム陥落    

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第一次捕囚・・B.C. 605

  • バビロニヤ帝国による最初の捕囚は、ユダのエホヤキム王の第3年(前605年)に始まった(ダニ1章1節、Ⅱ歴代誌36章)。ユダはバビロンの属国となった。エルサレムはバビロンの王子ネブカデネザルによって占領されかかったが、急遽、戴冠のためにバビロンに戻らなければならないかった。このときネブカデネザルは、ユダの王族の一人であるダニエルら有能な少数の者たちを人質として連れ帰った。しかし3年後にエジプトの援助によってユダは独立を取り戻した(かに見えた)。そしてそれから3年後、ネブカデネザルの軍が再びエルサレムへ攻めてきた。

第二次捕囚・・B.C. 597 (これを第一次捕囚とする者も多い)

  • エホヤキムの死後、エホヤキンが王位につくが、わずか三ヶ月でバビロンの王ネブカデネザルとその軍隊によるエルサレムの包囲攻撃にあい、エホヤキンは投降する(Ⅱ列王記24章12~17節、エレミヤ27章16節~)。ユダ王国の上層階級―王エホヤキンを始め、その家族、軍人、職人等の1万人がバビロンの地に連れ去られ、神殿と王宮の財産のすべても奪われた。この出来事を第一次バビロン捕囚と言う者が多い。ネブカデネザル王はエホヤキンに代わってゼデキヤをユダの王(傀儡王)とした(11年間)。この間に預言者エレミヤが活躍する。ゼデキヤ即位の二年後当たり(BC.595)に、バビロンで反乱が生じ、捕囚の民の 中から偽預言者が起こって、バビロンの滅亡が近いと同胞をあおったことで逮捕され、処刑されるという事件が起こった。その知らせを聞いたエレミヤはバビロンにいる同胞に手紙を送り、偽預言者の煽動に乗らないように警告し、むしろバビロンのために平安を祈ることを勧める。なぜなら、主による解放と回復の時は、「70年」が満ちてから来るので、それまで捕囚地において平静にして主を待ち望むよう警告した。(脚注) エレミヤ書29章にはそのいきさつは詳しく記されている。このようなエレミヤの言動は、ゼデキヤ王の下にいた熱狂的な親エジプト派の憎しみを買うこととなった。

第三次捕囚・・B.C. 586 (これがバビロン捕囚の代表的な出来事である)

  • 預言者エレミヤの警告は、バビロンのくびきを従順に負うこと、決して反抗してはならない、というものであった。しかしその警告は無視されるかたちとなった。ゼデキヤ王はバビロンに反抗したため、捕らえられ、彼の子どもたちは彼の前で殺され、彼自身も両眼をえぐり取られ、鎖につながれたままバビロンへ連れて行かれた。エルサレムは陥落し、神殿は火で焼かれ、周囲の城壁はことごとく破壊された。老若男女を問わず多くの者が虐殺された。貧民を除く、すべての者たちがことごとくバビロン捕囚という憂き目に遭ったのである(Ⅱ列王記24章8~17節、エレミヤ52章17~23節)

第四次捕囚・・B.C. 583

  • エレミヤ書52章30節参照。捕囚人数は少ないが、おそらくこれは正式な兵士の数と考えられる。

    


脚注

  • エレミヤの70年の解釈として、いろいろな考え方がある。最初の捕囚をBC.605とし、捕囚からの帰還をBC.536とすれば、およそ70年になる。別の解釈によると、BC.586年のエルサレム崩壊とBC 515年の第2神殿の完成の間の年数であると言う。70という数は聖書では「完全数」なので、象徴的意味として理解し、あまり数学的正確さにとらわれなくてもよいとする見解もある。しかし、ヨシヤ王が死んだ年のBC.609年から、ペルシャの王クロスによってユダの民が捕囚から解放されたBC.539年までが、丁度70年になる。神の民が完全にリセットされるために実際に70年の歳月を要したのである。なぜ、ヨシヤ王の死んだ年から70年なのかが実は重要なのである。つまりヨシヤ王の死は神の視点からするときわめて深い意味をもった出来事だったのである。

(引用終わり)

 

前605年、ネブカドネツァル2世はエルサレムを占領しかかるも、戴冠式で急遽バビロ戻らないといけなかったわけですね。少数のエリートを連れ帰ったとあります。その中にダニエルもいたということです。

 

歴代誌下36・5-7は以下の通り。底本の列王記下とは内容に食い違いも。列王記下24・6ではヨヤキムは、バビロンへの謀反を起こしてエルサレムで死んだのですが、歴代誌下では、ネブカドネツァル2世はヨヤキムに「青銅の足枷をはめ、バビロンに引いて行った」とあります。矛盾していますが、ここではこの問題には踏み込みません。

 

「5ヨヤキムは二十五歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。彼は自分の神、主の目に悪とされることを行った。 6その彼をバビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、青銅の足枷をはめ、バビロンに引いて行った。 7ネブカドネツァルは主の神殿の祭具類もバビロンに持ち帰り、バビロンにある彼の宮殿に納めた。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 ダニエル書概論

 

動画はご覧いただけましたでしょうか。

www.youtube.com

 

以下、振り返ってみます。

 

(画像と音声を引用)

 

1 物語は第一次バビロン捕囚(前605年?)直後から始まります。

王族らの中から優秀な者が選抜されてバビロンに連れて行かれます。ダニエル、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴが含まれています。この書は、彼らが征服者の国でどのように希望を保ち続けたのかを記しています。

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2 ダニエルと友人たちのバビロンでの物語(1-6章)と

ダニエルが見た「将来」についての幻(7-12章)です。

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3 構成上の特徴

1章は、イスラエルの民の言葉ヘブライ語で書かれています。

2-7章は、当時の世界共通語であったアラム語で書かれています。

8-12章は、再びヘブライ語に戻ります。

2-7章が独立したセクションであると同時に、この後の章を理解するうえでの重要性を示しています。

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4 1章はダニエル書の前半の物語の背景を紹介しています。非常に優秀だったダニエルと友人はバビロンの宮廷で仕えるために召されます。

ユダヤ人のアイデンティティを捨て、トーラーにある食物規定を捨て、バビロン人たちと同じものを食べるように圧力」が加えられます。バビロナイズの圧力です。彼らをそれを拒み、トーラーに忠実であったためピンチに陥ります。しかし神は彼らを救いだし、バビロン王によって昇進させられました。「トーラーへの忠実によって高められる」。

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5 このアラム語のセクションはシンメトリーのある見事な構成になっています。

2章 王の夢———————————7章 ダニエルの夢

3章 燃える炉——————————6章 ライオンの穴

4章 ネブカドネツァルの高ぶり――5章 ベルシャツァルの高ぶり

まず2章はネブカドネツァルが見た夢の話です。ダニエルしかその夢の意味を解き明かせる者がいませんでした。それは、4種類の金属からできた巨大な像の夢で、一連の王国を象徴していて、頭の部分はバビロンです。ところが岩が飛んできて、その像を粉々に砕き、その岩は大きな山になりました。これは、ダニエル書に出てくる沢山の象徴的な幻の最初のもので、後から出てくる幻の基本的なストーリーを紹介しています。ダニエルはこの像が「バビロンに続く一連の王国」を表していると解き明かしました。そのすべてが神の造らた世界を暴力で満たします。しかし「いつの日か神の王国は彼らの前に立ちはだかり、すべての傲慢な国々をひれ伏させ、正義を以ってこの世界を癒し、神の支配が行き渡るようにする」と言ったのです。

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 6 3章には、ダニエルの3人の友人が巨大な像を拝むことを拒んだ有名な話が出てきます。この像は2章に出てきたような、王とその帝国の力を象徴しています。3人は燃える炉の中に投げ込まれますが、神は彼らを救いだし、この神こそ真の神だと知った王は、彼らを称賛します。

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7 バビロンの2人の王、ネブカドネツァルとベルシャツァルのストーリーです。2人とも巨大な帝国の上に立つ者として非常に高ぶっていました。そこで神は、この2人の王に夢と幻で警告をお伝えになりました。これらも解き明かせるのはダニエルだけでした。ダニエルは彼らに神の前にへりくだるように言いましたが、彼らは傲慢にも逆らいまいた。そのためネブカドネツァルは狂気に打たれ、野の獣のようになりましたが、その後神に対してへりくだったっため、人間性を取り戻し、再び王位に就きました。これとは対照的にベルシャツァルはへりくだることができませんでした。そして警告されたその日に暗殺されたのです。

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8 この2つの話は、創世記1-2章や詩編8編で、人間が「神のかたち」、また「世界の王」として描かれていることも思い起こさせます。この世界の真の王である神は、人間にこの世の鳥や獣を神のために治める権威をお授けになりました。ところが人間が築いた王国はそれを忘れ、神に反逆し、自分を神とする時には、人間以下の凶暴な獣のようになり、神の裁きを招くことになるのです。

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9 6章は3章と対になっています。ここではダニエルが王を神として崇めることを拒否したために迫害されます。そのため3人の友人たちと同様、死を宣告され、ライオンのいる穴に放り込まれます。しかし神はダニエルを獣から救い出し、王は神をほめたたえ、ダニエルを称賛しました。

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10 7章は2章とペアになり、この書のテーマが集約された中心的な箇所です。また夢の話ですが、今度はダニエル自身の夢です。なぜか今回は彼にはその意味が分からず、み使いに説明してもらわねばなりませんでした。彼が見たのは四つの獣です。ライオンのようなもの、熊のようなもの、翼のある豹のようなものが出てきました。これらはみな、驕り高ぶった王国を象徴しています。そして最後に現れた恐ろしい獣は、非常に邪悪な帝国を表していて、沢山のを持っていました。これは旧約聖書に共通する王の象徴です。そのうち、ある一本の角が生えてきましたが、これは「自分を神に勝るものとし、神の民を迫害する傲慢な王」を表しています。ここで「人の子」と呼ばれる存在が登場しますが、この人は神の民を象徴しながら、同時にダビデの血筋から生まれる彼らの王も象徴しています。それから突然「年を経た方」という存在が現れ、王国を建てます。そして恐ろしい獣を滅ぼし、「人の子」を雲の上に引き上げ、神の右の座に就かせ、共に国々を治めさせるのです。

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11 ここで、ダニエル書の前半のおさらいをしておきましょう。

迫害にもかかわらず、信仰を貫いたダニエルたちの3つのストーリーは、苦しみを受けているすべての神の民に希望を与えるものです。

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12 彼らは、神に反逆し獣のようになった人間の王国のゆえに、苦しめられました。

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13 ですから、これらの幻は、神がご自身の王国をたてて世界を治め、神の民の苦しみを取り去ってくださるのを忍耐強く待つようにと励ましているのです。

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14 ここで浮かび上がる疑問は、神はいつそれを成し遂げてくださるのかということです。最後の3つの幻がそれを探求していきます。

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15 8章でまたダニエルは7章で出てきた、最後の2つの獣の幻を見ます。しかし今回は、それは雄羊の形を取っており、メディアペルシャを表していました。次に、ギリシャを示す山羊が現れますが、この山羊から多くの角が生える中、一つひと際大きな角が生え、それは7章の邪悪な王を象徴しているのです。彼はエルサレムを攻撃し、自分を神より上の者と見做し、神殿に偶像を運び入れて冒瀆します。しかし最後には、神は彼を滅ぼし、ご自身の民と王国を高く上げてくださるのです。

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16 9章で、ダニエルはこれらのことがいつ起こるのかと、気が気ではなく、エレミヤ書を読みました。そこには捕囚は70年しか続かないと書かれていました。ダニエルにとって捕囚からもうすぐ70年が経っていたので、彼は神に早く約束を成就してくださるようにと願いました。しかしみ使いが現れ、「イスラエルの罪と反逆は今も続いているので、捕囚の期間はエレミヤに告げられた長さの7倍になる」と告げたのです。ダニエルは非常に動揺しました。そして最後の幻を見たのです。

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17 またもや王国に次ぐ王国です。ペルシャギリシャアレクサンダー大王、そしてその後も、王たちが続いています。いずれも最終的にはエルサレムを侵略し、神殿に偶像を設置し、自らを神の上に置く「北の王」に繋がっていく流れです。しかしこの王も突然滅ぼされるのです。

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18 これらの幻の意味については、今日も議論が尽きることはありません。

多くの人は、紀元前160年代のシリアの王であるアンティオコスがしたことと明確な関連があると考えています。彼は多数の信仰深いユダヤ人をエルサレムで殺し、神殿に偶像を設置しました。また、これはのちのローマ帝国エスの死刑執行と、西暦70年のエルサレム神殿の陥落を指しているのだと考える人もいます。さらに、エスが再臨する時の出来事を指しているのだと考える人もいます。

しかし、幻に出てくる象徴や数は、いずれの解釈にも完全には合致しません。それはつまり、そのすべてが正しいという可能性もある、ということです。

ダニエル書はこの後のすべての世代の神の民に希望を与え続けているのです。アンティオコスの時代も、その後の時代もそうでした。だから、イエスエルサレムでダニエル書を引用しながら、抑圧者と対立したのです。そしてまた、黙示録を書いたヨハネもダニエルの幻を彼の時代のローマに当てはめて語り、さらに未来のすべての抑圧者となる国々にも当てはめました。

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19 つまり、ダニエル書とは、すべての時代の読者がその中に「似通ったパターン約束」を見出すことができる書です。そのパターンとは、人間とその王国が自分たちの力を誇り、善悪の基準を自分たちで決め、神を真の王として認めようとしない時、凶暴な獣のようになる、ということです。しかし同時にダニエルは、いつの日か神がご自身の王国をもたらすことによって獣を打ち負かし、ご自分の民を救われると約束しています。

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20 このように、この書はすべての時代の人々に、神に誠実であり続けるよう励ます希望のメッセージを語っているのです。

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21 これがダニエル書です。

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2 まず自分から取り掛かったこと

現在「ヨハネの黙示録を学ぶ会」に参加していまして、11章まで講義を受けました。しかし受動的に聞いておくだけでは上滑りしているように思い、まず自分から調査に取り掛かることにしました。

 

以前は、リベラルな神学の影響を受けて「黙示文学=事後預言」と理解していました。そうするとどうなるかと言いますと、預言全般について「無関心」「どうでもいい」という心情になります。聖書は、預言の成就やその結果である歴史とはあまり関係のないレベルの事柄なのだ、という理解。自分が染まったのは「高等批評」や「実存主義」です。

 

高等批評でダニエル書などへの預言的関心は吹き消されます。また、実存論的解釈によって、聖書から意味を引き出せるのは「今を生きる等身大の自分の現実的存在」にとって意味のある事柄である、と考えていました。

 

黙示録などでは「終わりの日」の「キリスト来臨信仰」が中心にあります。今までの考え方では、クリスマスの出来事、言い換えればアドヴェント(来臨)の出来事として置き換えていました。それは教会暦では毎年訪れる出来事です。そのアドヴェントに備えて悔い改めのうちに待降節を過ごすのですが、いえ、今もそういう面があるという理解は変わりません。ただ、それだけか、というとそうではないことは、うっすらと感じていました。

 

キリストの来臨信仰をよくよく直視して「再考」して見ると、それにとどまらないことが分かってきました。キリストの来臨信仰を、単純に実存レベルの事柄、例えば「memento mori 死を想え」的なある種の実存主義レベルにとどめておくのは、今、ここに生きている私が直面している死に強く捕らわれていて、死から生を基礎づけるように感じられました。死を忘れるよりは遥かに良いとは思いますが、基本的に「死の哲学」であり、「根源的な不安」に立ち向かえるのか疑問に思いました。

 

個人ではどうすることもできないような巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささの意識から反動的に生じたと思われる「実存主義」です。確かに個人を等身大に見ていこうという在り方は否定することはないでしょう。しかし、いわゆる「個人主義」という「個人をより大きく重視していこう」という風潮や、「実存は本質に先立つ」など、本質(ここでは神や魂)や歴史を積極的に認めない傾向があります。そのため、唯物的・即物的になり、本質が見失われやすいという指摘もあります。

 

このところ、終末論と再臨信仰を「再考」する中で気づかされたのは、その信仰が実存主義的な解釈などを乗り越えるのではないかということです。キリスト教信仰の中心にあるのは、「ことば」即ち「物語」と言ってもいいですし、「具体的な出来事」と言ってもよい、そのような事柄としての「ことば」なのだ、と改めて認識しました。そこには、長大な歴史認識と、死をも超える生へと続く「一連の」物語の中にある私(たち)が、日常世界から歴史に至るまで確かに導かれているという、確認と確信が伴うのです。

 

例えば『創世記』において「光あれ、すると、光があった」というように、神の「ことば」ヘブライ語で「ダーバール דבר」は、言葉であり、同時に「行為」でもあり「出来事」でもあります。現代語で言う単なる記号としての言葉や文字ではなく、「出来事を引き起こすことば」ですね。

 

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。

天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。

イザヤ書55章8-11節

 

バビロン捕囚からの解放を告げた神のことばは、必ず実現するので、希望を捨てないようにと捕囚の民に語られているのです。この神のことばへの信頼—素朴ですが力強い―を、私はキリストの再臨信仰を通して新たにすることができました。

 

そこで。。。ここまでが、前置きです(^^;)

結論はさっと流します。

まず、私が自分で取り掛かったのが、ダニエル書をざっくりと理解する、という点です。最初から細かいところに入ってはいけないと思いました。そこで次の動画を参考にいたしました。Bible Project というNPOが作ったものですが、大変好評のようです。ただざっくりと掴むだけです。(分かり易過ぎても、逆にどんな前提があるのか検討する必要がありますので個人的には注意しています。でも十分参考にはなります。)

 

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